Shammer's Philosophy

My private adversaria

ポリシーVSマネー

仕事をしていれば、お客様と会話することもある。その会話の中で、「我々はあなた方にXXを求めているから高いお金を支払っているのです」と言われることもある。これ自体は別になんてことないやり取りだが、この「XX」に来るのが、

  • 本来提供しているサービスでない場合
  • 同様のサービスを別料金で提供している場合

は、どのように対応するのが正しいのだろうか。

昔、とあるTV番組で「値切りの達人紹介」みたいなのをやっていた。その達人という人が、とある魚屋で魚をいくら値切れるか、という内容だった。その達人は、店主が「その値段じゃ売れないよ」と言っても、付きまとってひたすら話しかけて、というのを繰り返していた。そして、最終的に店主が折れて達人の勝利!となったわけだが、その後店主に「赤字じゃないんですか?」という質問を投げかけたところ、「赤字です。でもあれだけ付きまとわれると他のお客様に迷惑がかかるから仕方ないです。」という趣旨のコメントをしていたのを思い出した。これって・・・普通の値段で買ったあとに金を奪い取る行為と結果だけみると対して違わないのでは?と当時思ったのを覚えている。

自分に決定権がある場合は、「そういうお客様は断ろう」と毅然とした態度を貫き通すこともできると思う。でも、そういう姿勢を取れる人であっても、そのお客が支払う金額が仮に1億円で、最初に書いた「XX」の内容が本来提供するサービスの範囲外だった、という場合でも、サービスの内容を優先することができるだろうか。出来る人もいるかもしれないが、1億に負けて「例外対応」をせざるを得ない、という判断を下す人もいると思う。いわば、ポリシーがマネーに負けた状態。このポリシーがマネーに負ける境界はどこになるのだろうか。

また、このようなマネーにモノを言わせて、例外対応を求めるのが当然、という行為は犯罪に当たらないのだろうか。マネーにモノを言わせて例外対応を要求する行為は合法で、ナイフ突きつけて相手の望まない何か(金など)を要求する行為は犯罪になる、というのは、筋が通っていないような気がしてしまう。もちろん、ナイフは銃刀法違反に該当するが、何らかの力を手段に、相手が本来望まない何かを強引に押し付ける行為、という点では、マネーを手段にしようとナイフを手段にしようと、子供の命を手段にしようと同じではないのか。マネーを利用した場合だけ、罰せられないのはなぜだ?力で他者をねじ伏せることは法律で禁止されているが、マネーで他者をねじ伏せることは禁じられていないのだろうか?禁じられているけれども、その場合に訴える人がいないというだけのことなのだろうか?

所詮この世は弱肉強食。弱いものは強いものに食われざるを得ない、という声も聞こえてきそう。この定理に全く異論はないが、何を強さの基準とするか、ということを考えたとき、マネーの有無が強さの基準、という考えには賛同できない。人間社会の強さの定義は人間性で判断されるべきだと思う。武力が強さだった時代から、経済の時代になり、今はその経済力が強さの基準という価値観が崩壊しつつある中で、次の基準は何か?というのがまだ見えていないような状況だと思う。エコとか、自然との共生とか、そういう価値観が大切にされるようになってきているように感じるが、思いやり力を競う社会になったら非常に暮らしやすいだろうな。理想論だが。