Shammer's Philosophy

My private adversaria

転職が決まって

会社を辞めることになりました。数日前から水面下では動きがあったものの、公開されたのは本日。決まってから公開まで、それを隠すことに何かプレッシャーのようなものがあった気がする。今日、自分の転職を知ったある人から、「なんかスッキリした感じ」と言われたが、たしかにスッキリした感じがする。自然と笑顔になる。言われるまであまり意識していなかったけれども、どれだけストレスを感じていたのだろうか、ということを考えざるをえない。

そして、同時に何に対してストレスを感じていたのだろうか、ということも考えてしまう。もうこの仕事でない別の仕事したい、もっと給料くれ、神様のごとく振舞う人を相手にすることの気苦労・・・何が嫌だったのか?そして、これらのことが解決されたら悩みはなくなってしまうのか?これはNOだと思う。

問題が解決したはずなのに新しい悩みに直面する。どこまで行っても、悩みに直面し続ける。解決したと思った矢先に別の悩みが出てくる。別の悩みが出てくるのなら、もともとの悩みを解決する意味もなかったのではないか?程度の差はあれ、日々こうした状況の中で人々は生活している。そう考えると、大切なのは「今の悩みを解決すること」ではなく、「悩みというものをどのように捉えるか」という、哲学だと思う。解決しては新たに生まれてくる、なくなることのない悩みの正体。それは、歩いても歩いても辿りつかない地平線のごときもの。辿りついているはずなのに、まだ先に地平線が見えている。こんな状態だ。

転職すれば、直近の悩みは解決したように見えるかもしれない。しかし、それは同時に新たな悩みの始まりでもある。様々な悩みがあるが、それを「重荷」に感じ、早くおろしたいと思って生きていくのか、あるいは、悩みを「成長のチャンス」と捉え、乗り越えてより大きく、人として高みを目指す生き方をするのか。断然後者の方がいい。しかし、理屈でわかっても、「重荷」に感じてしまいやすいのが人間というもの。如何に自分を鼓舞し続けていくか。軌道修正の方法を持っているか持っていないかで、今後の人生がどのようになっていくか、大きく変わっていくだろう。

新天地に移ってからのことをちょっと考えてみた。悩みに負けない強さを身につけることが大切。そのためには、小さい悩み、確実に超えられる悩みに真摯に向きあうこと。悩みをごまかしたり、逃げてばかりいては大きな悩みが来たときに潰されてしまう。小さな悩みを多く乗り越えることで、大きな悩みに潰されないように自分自身を鍛えていきたい。また新しい挑戦が始まろうとしている。