Shammer's Philosophy

My private adversaria

心のダメージ

もはや常識となりつつあるうつ病。こうなってしまったとき、「頑張れ」という言葉は厳禁だと言う。はたから見ると、無気力になって何もやる気が起きないように見えるが、実際はそうじゃない、というのが「頑張れ」厳禁の背景にあると思う。

先日、懐かしい人と会っていろいろと話をした。彼の知人にも、何人か心にダメージを受けた人がいて、責任に耐えられずに去っていく人もいたという。そうなってしまった人にどういう接し方をすればよいか、よくわからないよなぁとか軽く話していたけれども、そうなってしまった人は「無気力」になったのではなく、「他のことをできないくらい、ある一つのことに集中して向き合っている」状態なのではないかと思った。

実際、うつ病になると表面的には、無気力、無関心、無感動と三無主義に始まり、怠惰とか寝てばかりとか、とかくマイナスな印象しか見えないようなイメージがある。しかし、本当に無気力なのか、怠惰になってしまったのか、と考えると、それは違うのではないか、とふと思った。心のなかでは、非常に大きな何か(たぶん、これは人それぞれ異なる)と向き合っていて、それ以外と向き合えない、それ以外のことを何もできない状態なのではないか、と。

抗鬱剤というのがあるが、これはどういう効果なのか?何か欝感情を感じさせるホルモンがあって、それを抑制するというような話を聞いたことがあるが・・・欝状態を脱却するには、表面的な無気力感を取り去ることは意味が無い。薬よりも何よりも、心のなかにたまった何かを吐き出させて、思考の交通整理をしてやることこそが一番大切な気がする。医者は薬を出すことが治療、と思わないで、もっとカウンセリングを、話を聞くことに注力してほしい。5分〜10分程度話しを聞いて薬を出す、なんてことを繰り返している医者からは免許剥奪、というように出来ないのだろうか。もっとも、医学でできるのはこういうところまでなのかもしれないが。キリスト教には「懺悔」というものがあって、定期的に自分の中に溜まっている何かを吐き出すような習慣があるが、日本にはそれはない。昔は寺や神社に行って、お祓いをしてもらう、みたいな風習もあったと思うけれど、そういうのも最近はまずない。やっぱり心の問題は医学では扱いきれず、対応するとすると宗教にならざるを得ないのだろうか・・・