Shammer's Philosophy

My private adversaria

控えめの打破と問題の再確認

今、出張でサンノゼに来ている。海外の技術者との合同トレーニングで、今日が初日だった。以前の職場の先輩から、日本人はおとなしいということを聞かされていたが、それを初体験。というか、自分がそのおとなしい人間になってしまったわけだが。

レーニングを受けていると、インストラクターから様々な質問が来たり、逆に質問したりする。わかりきったこと、あるいはわかっていると思っていることについては特に質問したりしないでいたが、海外の人はそうじゃなかった。わかっていることでも、「こう理解したけれどあっているか?」「この部分はこう思うんだけれどなぜそうじゃないのか?」など、とにかくあれこれ話す。最初は何も思わずにいたけれども、しばらくしたころに、自分の理解を助けるためというか、トレーニング本来の目的以外の観点からも、質問等、とにかくたくさん話した方がいいことに気づいた。

レーニングで質問・確認するのは、トレーニング本来の目的からすればある意味当然と言える。しかし、たくさん意見を述べたりすることで、インストラクターに自分の印象を植えることができる。わかっているからといっておとなしく聞いているだけでは自分を覚えてもらうことはできないだろう。そのインストラクターと今後どのような関係になっていくかはわからないけれども、何か仕事を任せる必要が出た際、覚えていてもらえないと声はかからない。仮にトレーニング内容を完璧に理解できたために何も意見を述べたり質問したりしなかった人、理解は半分だがとにかく意見を述べて前向きな姿勢を示した人がいたとして、仮にそのトレーニングを誰に任せるかって話になった場合、声がかかる可能性が高いのは普通に考えてたくさん意見を述べた人なのではないか、と思った。グローバルで勝ち残っていくには、自分を覚えてもらわないといけない。そして、覚えてもらうには・・・たくさんの意見を言うっていうのが効果的だと思った。

レーニングは始まったばかり。まだそのチャンスはあるかもしれないが・・・いかんせん、思ったことをすべて表現できるだけの英語力がない。英語の大切さを改めて感じた一日だった。英語については、真剣に考えないといけない。単に話せるようになりたいって気持ちから、なぜ話せるようになりたいかが一歩具体的になった感じだ。